東京地方裁判所 平成8年(刑わ)258号 判決 1999年2月16日
主文
被告人を懲役三年八か月に処する。
未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。
訴訟費用は、被告人に負担させない。
理由
(犯罪事実)
被告人は、東京都江東区亀戸<番地略>に主たる事務所を置き、AことA(以下「A」ともいう。)を代表者とする宗教法人オウム真理教(以下「教団」という。なお、公知のとおり教団は本件後に解散した。)に所属していた。
第一 教団所属のB・C・Dらが共謀して、平成二年五月二四日ころ、国土利用計画法(以下「国土法」という。)所定の届出をしないで、E所有の熊本県阿蘇郡波野村所在の七筆の土地(地目はいずれも原野。公簿面積合計五万九〇四八平方メートル、実測面積合計約一五万平方メートル。以下「本件土地」という。)を教団がEから売買価格五〇〇〇万円で購入する旨の本件土地売買契約を締結した上、そのころ、同郡一の宮町<番地略>所在の熊本地方法務局阿蘇支局に対し、本件土地がEから教団に贈与されてその所有権が移転した旨の内容虚偽の登記申請をし、同支局備付けの登記簿原本にその旨記載させて同支局に備え付けさせた国土法違反、公正証書原本不実記載・同行使被疑事件について、Bらの右刑事責任を免れさせるため、本件土地売買契約当日にBらがEに売買代金の一部として現金三五〇〇万円を支払った事実を隠ぺいすべく、右三五〇〇万円は教団がEに別途貸し付けた金銭であるとの虚偽の事実を作出しようと企て、教団の経理担当者として、平成二年一〇月二六日、熊本市京町<番地略>所在の熊本地方検察庁(以下「熊本地検」ともいう。右所在地は公知の事実であって、論告五頁にも記載がある。)において、Bらの前記国土法違反等被疑事件の捜査を担当しているF検察官に対し、右三五〇〇万円は教団が同年六月一八日に仮払金として出金してEに貸し付けたもののごとく装い、仮払目的をEに対する融資とした同日付けの金額三五〇〇万円の偽造された仮払金申請書一通を、前記被疑事件の証拠として提出して、他人の刑事被疑事件に関する偽造の証憑を使用した。(平成二年一一月二九日付け起訴事実)
第二 A、教団所属のGらと共謀の上、平成五年六月上旬、静岡県富士宮市<番地略>所在の富士山総本部(以下「富士山総本部」という。)内第一サティアンと称する教団施設(以下「第一サティアン」という。なお「サティアン」とは、サティアンと称される教団施設の趣旨である。)において、教団内での修行中に死亡したH(当時二五歳)の死体を、マイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合わせた焼却装置(以下「本件焼却装置」という。)の中に入れ、マイクロ波を照射して加熱焼却して、損壊した。(平成八年二月一六日付け起訴事実)
第三 前記Gと共謀の上、教団所属のIが、平成七年三月二〇日帝都高速度交通営団地下鉄日比谷線等の電車内等においてサリンを発散させて多数の乗客等を殺害するなどした殺人・同未遂事件(以下「地下鉄サリン事件」という。)等の犯人であることを知りながら、同人の逮捕を免れさせる目的で、同月二一日ころ、第一サティアンにおいて、同人に対し、逃走資金として現金三〇〇〇万円を供与して、犯人を隠避せしめた。(平成七年一二月一三日付け起訴事実)
第四 教団所属のJ(以下「J」ともいう。)らと共謀の上、教団所属のK及びLが、地下鉄サリン事件等の犯人であることを知りながら、右両名の逮捕を免れさせる目的で、平成七年三月二三日ころ、第一サティアンにおいて、同人らに対し、逃走資金として現金五〇〇万円を供与するとともに、逃走用の普通乗用自動車一台を貸し渡して、犯人を隠避せしめた。(平成七年九月二七日付け起訴事実)
(証拠)<省略>
(事実認定の補足説明)
弁護人は、被告人は無罪であるなどと主張して各起訴事実を争い、被告人もこれに沿う供述をする。しかし、裁判所は、前記各犯罪事実を認定したが、弁護人の主張は広範、多岐にわたり、また、独自の証拠評価を前提とするものもあるので、関係証拠を総合して、必要な限度で補足して説明する。
第一 犯罪事実第一(証憑湮滅被告事件)について
一 幇助等の主張について
弁護人は、被告人は、犯罪事実第一記載の仮払金申請書が公正証書原本不実記載・同行使被疑事件の証憑であるとの認識を欠くから、右事件に関する証憑湮滅罪が成立する余地はなく、また、Aの幇助者であって実行行為者ではないから、証憑湮滅罪の幇助に留まるなどと主張する。
1 関係する事実関係
(一) 教団所属のB・C・Dらが共謀して、犯罪事実第一記載の国土法違反、公正証書原本不実記載・同行使事犯に及んだ事実は、熊本地裁の公判では被告人を始め関係被告人が激しく争っていたが、関係証拠によって認められ、当庁公判(以下特に断らないときは、公判は当庁の公判を示す。)では、被告人側も右事実を認めている(<証拠略>)。
そして、被告人は、公判で、右犯行に際し、具体的事情には通じていなかったとしながらも、本件土地取得のため、Bに対し、五〇〇〇万円出金の手続きをし、その内の一五〇〇万円はBから返還されたことを認めている(<証拠略>)。
さらに、関係証拠(<証拠略>)を総合すると、以下の事実が認められる。
(二) 犯罪事実第一に記載した仮払金申請書を被告人が提出する直前までの経緯
(1) 熊本県の告発を受けて同県警察(以下「熊本県警」ともいう。)が国土法違反容疑で教団関係者に対する捜査を開始したのを知ったB、教団所属のMらは、平成二年八月ころから、E及び本件土地売買の仲介に当たったNに対し、警察の取調べでは本件土地の譲渡が前記負担付贈与であると説明するように圧力をかけるなどしていた。そして、Aが、同月下旬ころ、E宅を訪れてEに対し、自分が受けた取調べの体験を交えながら「警察の取調べに頑張って耐えてほしい。三日我慢すればいい。」などと説得を試みた際、被告人も同行してその発言を聞いていた。
(2) Aは、同年一〇月二一日ころ、熊本県警が国土法違反等の容疑でBらを逮捕する情報を入手し、被告人も同席する場で、B以外の逮捕が予想されたM、Cらに逃走するように指示した。
一旦逃走したM、Cらが、教団施設に戻ってAの指示の下に相談し、Bらの刑事責任を免れさせるため、BらがEに前記三五〇〇万円を本件土地売買代金の一部として支払った事実を隠ぺいし、右三五〇〇万円は本件土地取得とは無関係に教団がEに別途融資した金銭であるという虚偽の事実を主張することに決めた。
当時も教団経理の責任者であった被告人は、右相談結果に従い、同月二五日ころ、第一サティアンで、Cと協力するなどして、被告人が、Eとの交渉役のCに対し、教団からEへの融資金としての三五〇〇万円を仮払いした事実を裏付ける証拠として、仮払目的をEに対する融資とした同年六月一八日付けの金額三五〇〇万円の仮払金申請書一通を作出した。
(3) 被告人は、同年一〇月二六日、Aが前記被疑事件の事情聴取を受けるため熊本地検に出頭した際、説明資料として右仮払金申請書一通を持参して同行した。
(三) 次に、右仮払金申請書が熊本地検に提出された後では、被告人は、Mの指示に従って教団の主張を裏付ける経理書類の作出に関与し、同月三〇日にC、Dが逮捕された際、Cらに同行して熊本市に行って、右経理書類を熊本地検に任意提出したほか、MらによってE名義の書類が偽造されたことを認識し、被告人自身が逮捕される前日及び当日の同年一一月六日及び七日に取調官に対し、教団の主張を詳細に理解した内容を供述したことが窺われる。
2 以上からすれば、被告人は、国土法違反等の事案の概要及びそれに対する教団の主張内容を概ね理解し、経理担当の教団幹部として、右主張に沿う形で自ら右仮払金申請書を作出していたから、Bら本犯者の少なくとも国土法違反の刑事責任を免れさせる目的を有していたことは明らかであり、右目的を否定する公判での被告人の供述(<証拠略>)は、関係証拠に照らして信用できない。
そして、経理責任者として関与していた被告人の当時の地位、立場からすれば、Bら本犯者の犯行に関して右以上の広範な認識を有していたのではないかとの疑いはあるものの、それを裏付ける的確な証拠はないので、被告人が公判で弁解するとおり、国土法違反との認識しかなかったとしても(<証拠略>)、被告人は、Bらの刑事責任を免れさせる目的で、自ら作出した右仮払金申請書を提出したから、Bら本犯者に国土法違反事件に関連する他の被疑事実の嫌疑があれば、その事実に対しても前記目的を及ぼす意思を有していたものと推認できる。
したがって、本件土地売買と密接に関連するその登記に関する公正証書原本不実記載・同行使被疑事実についても、右仮払金申請書を偽造の証憑として行使する意思を有していたことを認めることができ、この点に関する弁護人の主張は採用できない。
次に、右仮払金申請書を任意提出した者は被告人かAかが争点となっているから、次項で検討する。
3 仮払金申請書の任意提出者は被告人であること
(一) 熊本地検で捜査を指揮していた証人Fの公判供述及びその他の関係証拠(<証拠略>)によれば、前記仮払金申請書の任意提出に至る経緯は以下のとおりと認められる。
(1) F検事は、平成二年一〇月二六日、同地検で前記のとおり出頭したAを取り調べたところ、Aは、本件土地を前記負担付贈与によって譲り受けたのであり、前記三五〇〇万円は本件土地取得とは無関係に教団がEに別途融資した金銭であるとの教団の主張を説明して、B逮捕の不当性を訴え、その裏付証拠として右仮払金申請書を示した。F検事が右仮払金申請書の意味を質問すると、Aは、自分よりも教団の経理責任者である被告人の方が事情に詳しい旨答えた。そこで、F検事は、目が不自由とのAの要請を受けて同席を認めていた被告人に対し、右仮払金申請書の作成経緯及び右三五〇〇万円の原資等について質問すると、被告人は、「Cから現金三五〇〇万円を用立てることができるか尋ねられて調べたところ、当時、約四〇〇〇万円の入金があったので、右用立てが可能である旨回答し、後日、Cから右仮払金申請書が提出されたとき、Aの決裁を受けた上で出金した。」旨回答した。
(2) F検事は、右仮払金申請書を任意に提出してもらう必要性を感じたが、提出者は、目が不自由と申し立てていて、右仮払金申請書の形状・内容を確認できないとみられるAよりは、教団の経理責任者として、自ら押印した右仮払金申請書を保管している被告人の方が実態に即していて望ましいと判断し(<証拠略>)、被告人にその提出を求めたところ、被告人は、何ら異議を唱えることもなく、任意提出書に署名指印して、右仮払金申請書を提出した(<証拠略>)。
また、前記被告人の供述調書(<証拠略>)によれば、被告人は、右仮払金申請書を含む資料を検察庁に提出したことを前提とした説明もしていることが認められる。
(二) 右提出の経緯等に照らすと、右仮払金申請書の提出者は、被告人と認められる。
4 以上によれば、犯罪事実第一を認定できるが、被告人の弁解及び弁護人の主張について、さらに検討する。
(一) 被告人は、公判で、熊本地裁第一回公判(平成三年二月六日)で本件土地の譲受けが負担付贈与であるなど教団の主張に沿った意見を述べたのを改め、右教団の主張は虚偽であったとし(<証拠略>)、右仮払金申請書提出までの経緯等でも、自分が関与した部分について前記の内容を概ね認める一方で、右仮払金申請書の任意提出については、事情聴取を受ける目の不自由なAの付き添いとして熊本地検に同行し、F検事の取調室に入っただけであり、被告人がF検事に事情を説明したり、質問を受けたりしたことはない、Aが右仮払金申請書を任意提出しようとしたところ、目が不自由で右任意提出書に署名できないことから、A及びF検事の要請で、被告人が右任意提出書に署名指印したにすぎないなどと弁解する(<証拠略>)。
弁護人は、被告人の右弁解を受けて、Aが提出すべきところを、被告人がその幇助者として右仮払金申請書の提出に加担したにすぎないから、提出者、即ち犯罪事実第一の実行行為者はAであるなどと主張する。
しかし、右仮払金申請書の任意提出者が被告人であるのは前記のとおりであるが、右主張に即して付言する。
(1) 被告人の主観面をみると、熊本地検での事情聴取対象者はAであって、被告人は同行者にすぎないが、単なる同行者ではなく、教団経理の責任者として、担当検察官から説明等を求められれば、Aに代わって右仮払金申請書を示すなどして説明等ができる立場にあったから、担当検察官から右仮払金申請書の任意提出を求められれば、それに応じるのは、何ら被告人の意に反するところではなかったと認められる。そして、被告人は、公判で、仮に右仮払金申請書が正規のものであれば自分が管理していたことになる旨被告人が任意提出者であることと矛盾しない説明もしている(<証拠略>)から、被告人の主観面から、被告人が任意提出者であることが否定されるものではないといえる。
(2) 書面の形式面をみると、Aの検察官調書(<証拠略>)には、取調対象者の目が不自由で調書の内容を確認できないとみられるところから、Aの指印に加えて立会人としての被告人の署名指印もなされていることと対比すると、右検察官調書の取調担当者であったF検事を相手とした任意提出であるから、Aが任意提出者であれば、右検察官調書と同様に、任意提出書(<証拠略>)には、Aの指印に加えて立会人としての被告人の署名指印があるのが自然なのに、その氏名欄には被告人の署名指印があるだけで、他の記載等はなく、右のような措置が採られていないことが明らかである。また、右任意提出を受けて作成された領置調書(<証拠略>)の差出人住所氏名欄も被告人のそれが記載されているのに過ぎない。
このように、書面の形式面からも、任意提出者は被告人であることが明らかであり、他方、Aであることは全く窺われない。
(3) また、前記Aの検察官調書には、「Jの方から仮払金申請書を提出しておりますが」「Jに内容を聞きながら説明しますが」などと前記認定の任意提出の状況に沿う記載があるから、被告人の前記弁解は右供述内容に沿わないものといえる。
(4) これらの事実に照らすと、被告人の右弁解や弁護人の前記主張は採用できない。
(二) 弁護人は、F検事は、右仮払金申請書が偽造のものと知りながら、将来の証憑湮滅事件の立件の余地を確保するため、あえて被告人を右仮払金申請書の提出主体にするなどの詐術・誘導を弄して犯罪を誘発する行為に及んだから、任意提出の主体が被告人であったとはいえないとも主張する。
しかし、被告人の主観面は前記のとおりであって、捜査官の意図の如何によって当然に任意提出性が否定されることにはならない上、F検事は、被告人に任意提出させた理由について、負担付贈与であるなどと主張して組織的な偽装工作に積極的に及んでいる教団が提出する証拠については幅広く集める捜査上の必要性があり、Aよりも被告人から任意提出を受けるのが実態に即していて望ましかったこと(<証拠略>)、右任意提出書は偽造と思っていても真正さを証明できる人間は、Aと対比して被告人であること(<証拠略>)を挙げているから、弁護人の前記主張は採用できない。
確かに、前記Fの公判供述中には、将来証拠隠滅ということで被告人を逮捕する可能性を考慮したことも認める部分がある(<証拠略>)が、そのことで、右結論が左右されるものではない。
二 公訴権濫用の主張について
1 弁護人は、違法捜査に基づく起訴、或いは訴追裁量を逸脱した起訴であるとして、いわゆる公訴権の濫用を理由に公訴棄却を求めている。しかし、この主張も採用できない。
2 まず、弁護人は、国土法違反等の軽微な事案であるのに、大量の物件を押収するなど明らかに捜査比例の原則に違反する違法な捜査が行われたこと、捜索の際捜査官が教団信者に対し暴行を加えるなどの違法行為があったこと、平成三年二月六日付け「被告人の起訴状に対する意見書」第一〇項に記載したとおりの被告人に対する違法な取調べがあったこと、その結果思想・信仰等を理由に一般の場合に比べて不当・不利益に扱われたともいえることなどを指摘して、本件が違法捜査に基づく起訴である旨主張する。
しかし、Bらが、本件土地に関する売買契約があったとして一旦は国土法所定の届出をしながら、後日、それを撤回し、本件土地に関する新たな売買契約を締結しつつ、負担付贈与の場合は届出は不要であると虚偽の主張をして、無届けのままEから本件土地を譲り受けていること、負担付贈与との主張を前提としても、国土庁の有権解釈により国土法所定の届出が必要であったので、熊本県は教団に対し再三の説得指導を行ったのに、教団はそれを無視するかのように本件土地の造成等を進めたこと、一旦なされた前記届出の内容によれば、本件土地売買代金が周辺の土地価格に比べて高額であり、熊本県からその引下げを指導される対象であったので、本件をそのまま放置することは、類似事例への影響を考えると国土法の目的を損ないかねなかったことなどを理由に熊本県が告発に至った経緯(<証拠略>)のほか、Eに圧力をかけるなどして、あくまで本件が負担付贈与であるとの主張を維持するため組織的な偽装工作に及ぶなど右一連の経過に弁護士の資格を有するBが関与し、教団全体として徹底的に争っていたこと等に照らすと、前記Fの公判供述の中で明らかにされたように、教団施設一〇数か所に対し約六二〇名の捜査員を動員して大がかりな捜索を行ったこと(<証拠略>)も必要な捜査手法であったといえ、何ら捜査比例の原則に違反するものではない。
右のような事案の特質に加えて、E、Nの供述が検察官立証の主軸となっている証拠構造に照らすと、その余の弁護人の主張をもってしても前記公訴の提起を違法とするような公訴権の濫用がなかったことは明らかである。
若干付言すると、右捜索の際に教団信者に対する捜査官の暴行などの違法行為がなされたとの点等については、捜索担当の捜査員が、教団関係者による捜索状況のビデオ撮影を許容し、教団関係者の申し出を容れて差押えを控えた物があることなど(<証拠略>)の捜索差押えの実施状況からして、弁護人主張のような事態があったとは窺われない。
また、被告人に対する違法な取調べの点も、被告人を始めとする教団関係者の供述を離れた客観的証拠等はなく、被告人が逮捕後事実関係について黙秘を貫いたことなどからして、容易にその存在は認めがたいが、その他の弁護人指摘の点も併せ考慮しても、少なくとも検察官による公訴提起の効力に影響を及ぼすものでないことは明らかである。
3 さらに、弁護人は、事案の軽微性のほか、F検事が本件仮払金申請書を偽造と認識していたから、右仮払金申請書提出による刑事司法作用への実害はなかったなどとして、訴追裁量を逸脱したことを理由とする公訴権濫用も主張する。
しかし、前記のとおり国土法違反等の被疑事実が軽微な事案といえないことは明らかであり、国土法違反の法定刑、関係者や同種事案の処分状況、被告人に前科がなかったこと等を考慮しても、被告人に関する起訴は適切なものであったといえる。
また、右仮払金申請書が提出されたのは、強制捜査の早期の段階であり、捜査に徹底的に対抗する教団の前記姿勢をも考慮すると、右仮払金申請書が偽造であることに関する捜査を尽くす必要性は高かったのであり、右捜査が不十分であれば誤った事実認定がなされる危険があったから、F検事が右偽造の認識を持っていても、右仮払金申請書の提出が刑事司法作用へ実害を与える危険性は何ら否定されないといえる。
4 その余の弁護人指摘の点を考慮しても、検察官による公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合にあたるといえないことは明らかである。
第二 犯罪事実第二(死体損壊被告事件)について
一 Hの死体は発見されていないものの、右事件中の、教団信者のHが教団内施設で行われていた修行中に死亡し、その後、犯罪事実第二記載の方法でその死体が焼却されたが、被告人は右事件の実行行為を行っていないことは、証拠上明らかであって、当事者間にも争いがない。
弁護人は、被告人は、右焼却の事実を知らず、右死体が焼却されると考えたこともなかったし、右死体焼却についてAやGらと共謀したことはないなどとして、右事件の故意及び共謀を争い、被告人は無罪である旨主張する。
二 そこで、争点である被告人の故意及び共謀について説明する。
1 Hの死とその死体の損壊の状況の概観
O(以下「O」という。)、P及びGの各公判供述のほか、Q(<証拠略>)及びR(<証拠略>)の各供述等によれば、次の事実が認められる。
(一) Hが死亡した状況
(1) 教団では、平成五年五月ころ(<証拠略>)から、Aが指示して、修行態度が悪いとされた信者等に対し、富士山総本部内の道場と称する教団施設(以下「道場」という。)二階で、足首にロープを巻き、通常約一時間半を限度として身体を天井から逆さに吊り下げ、その後三時間休憩させるという行程を一日に数回繰り返す「逆さ吊り」と称する修行を行っており、教団所属のS(以下「S」という。)・P・Oらが交替で、「逆さ吊り」の時間を測るなどしながら右修行の監督に当たっていた(<証拠略>)。
(2) Hも、修行態度が悪いとして、同年六月六日ころ、「逆さ吊り」の修行をさせられていたところ、Pは、監督当番のOが通常の限度時間を超過してHを「逆さ吊り」の状態にしていることに気付き、その旨をOに告げ、Oと二人でHを床に降ろし、道場二階に横臥させて休憩させた。
その後、Pは、修行中の他の信者からHの異常を知らされてその様子を確認し、一目で既に死亡しているものと判断し、道場内で修行をしていて、医師の資格を持つTを呼ぶとともに、道場一階にいたO(<証拠略>)及びたまたま近くに居合わせた被告人に対し、Hが死亡したかもしれない旨を知らせた(<証拠略>)。
(3) 被告人は、直ぐに道場二階に駆けつけ、P、O、Tらに指示して心臓マッサージ等の救命活動をさせたが、Hの状態に何の変化もなかった。その後、被告人は、P、Oらに指示して、Hを、道場から、当時第一サティアン三階にあった被告人の部屋に運び込ませ(<証拠略>)、関係者で再度救命活動を試みた(<証拠略>)が、Hの状態に何の変化もなかったことから、被告人らは、Hが死亡したものと確信した(<証拠略>)。
被告人は、後記のとおりAへHの死亡を報告した後教団施設に戻り、道場二階で、修行中の信者らに対し、「H君が私の部屋から逃げ出しました。下向(還俗の趣旨)しました。」などとHが生きていて教団施設から脱走した旨のHの死亡を隠す発言をした(<証拠略>)。その場にいたOとPも、被告人の右発言の趣旨を察知し、信者に対し、Hの死亡を隠す言動をとり(<証拠略>)、また、Sも、道場二階の電話を使って、教団施設外に出たHと会話をしているかのように仮装して、居合わせた信者に聞かせた(<証拠略>)。
(二) Hの死体の損壊状況
(1) 被告人は、同年六月六日夕方ころ、京都府宇治市内で行われていた教団主催のコンサートの会場にいたAに右Hの死亡状況を報告し、Aは、その後の予定を変更し、教団所属のQ運転の自動車で同日午後一〇時ころには第一サティアンに到着した。
(2) Aは、Hの死体を教団内で処分することを教団所属のUに指示した(<証拠略>)。Uは、直ちに、教団所属で医師の資格を持つRに手伝わせて、マイクロ波加熱装置等を第一サティアン四階に運び入れ、右装置とドラム缶を導波管でつなぐなどして、マイクロ波を照射して物体を加熱焼却するための本件焼却装置の組立作業を行って、その場に設置した(<証拠略>)。
相前後して、Uは、被告人の部屋にRを同行し、毛布に包まれたHの死体を見せ、同人が「逆さ吊り」の修行中に死亡したので、その死体を本件焼却装置で焼却処分することを告げた(<証拠略>)。
(3) Uは、Rらと共に、Hの死体を運んで本件焼却装置のドラム缶内に入れた。
Uが、A、R、S、Gがいるときに、本件焼却装置のスイッチを入れてHの死体の焼却を開始し、GとSが同装置の側に待機して焼却状況を監視するなどして、Hの死体損壊が実行された(<証拠略>)。
当時、この死体損壊は、Hの親族らはもとより一般の教団信者にも知らされなかった(<証拠略>)。
2 被告人を除く共犯者らの共謀
以上によれば、修行中に死亡したHの死体が、その親族らに知らされることなく、教団内で密かに焼却損壊された事実が認められる。
そして、被告人については次項で検討するが、A、U、R、S、Gら他の右死体損壊関与者は、遅くともUが本件焼却装置を作動させてHの死体焼却を開始するまでには、Hの死体損壊の共謀を成立させていたものと認められる。
3 被告人の右死体損壊に関する認識及び共謀
(一) 右死体損壊の際及びその前後の被告人の言動
1、2で認定した事実を前提にさらに検討すると、O及びPの各公判供述並びにGの捜査段階(<証拠略>)及び公判の各供述によれば、次の事実が認められる。
(1) 前記のとおり、被告人は、PからHの異常を知らされて、O、PらとともにHの救命活動を試みたが、その際、まず、道場二階の衝立(パーティション)で仕切られた場所(<証拠略>)にHを運び込ませ、周辺で修行中の信者らの目にできるだけ触れさせないようにした上、周囲に聞こえるように、「(Hは)三昧に入った(深い瞑想に入ったとの趣旨)ようです。」などとHの異常を隠すかのような発言をし(<証拠略>)、さらに、前記のとおり被告人の部屋に運び込ませて、Hを信者らの目に触れないようにした。
被告人は、Pから、H死亡の理由は、Oが「逆さ吊り」の時間を間違えたことによる監督上のミスであると聞き(<証拠略>)、Hが修行中に教団信者のミスで死亡したと知った。そして、P、Oらに対し、道場二階で修行中の信者らに対してはHは休んでいると告げて平静を装うようになどと指示した(<証拠略>)。
(2) 被告人は、前記のとおりAにHの死亡状況を報告した際は、当時、教団では警察等による盗聴を警戒していたので、盗聴を回避しようとしてPを連れて教団施設を出、富士宮市内の公衆電話を使用する方法をとり(<証拠略>)、右報告後教団施設に戻って、道場二階で、前記のとおりHが生きていて教団施設から脱走した旨のHの死亡を隠す発言をした。
(3) 右発言と相前後して、Pは、被告人に呼ばれて前記被告人の部屋へ行き、Aから、「この件は忘れろ。」などと言われて、Hの死亡を口外することを禁じられた(<証拠略>)。Gも、呼び出されて被告人の部屋に行き、Hの死体が安置されているところで、Aから、「Hが死んだ。ソーナー(Oのいわゆるホーリーネーム)のミスだ。Hを四階に運ぶかもしれない。後で呼ぶから。」などと、指示があるまで待機するように告げられた(<証拠略>)。
被告人は、AのP、Gへの右発言の際、いずれもその場に同席していて、AがHの死を外部から隠す意思を有していることを知ることができた。
(4) Gは、そのころ、山梨県西八代郡上九一色村<番地略>の第六サティアンで実施されていた教団主催の祭典を手伝うことになっていたが、呼び出されて第一サティアン四階に行き、Aに指示されて、SとともにHの死体の焼却状況を監視することになったため、右手伝いができなくなったことを、同じく祭典の実施に携わるため第六サティアンにいた被告人に電話で伝えたところ、被告人は、Pに対し、「まだ終わらないんですか。まだ、しばらく続きますか。随分時間かかるんですね。」などと前記の方法でHの死体損壊が行われていることを承知していることを前提とした趣旨と解される発言をした(<証拠略>)。
(5) その後、被告人は、Oに指示して、衣類、文房具類、ウォークマン等道場内にあったHの遺品を第一サティアン三階まで運び込ませ、Oに手伝わせて、遺品に貼られたHの氏名の書かれたシールを手で剥がすなどし、さらに、Hの死体の焼却状況を監視していたGも呼び出して、Hの遺品の一部を焼却処分させた(<証拠略>)。
これらは、被告人がHが教団内で死亡したことを隠すためにとった行動と評価できる。
(6) Hの死体焼却作業は平成五年六月九日ころ終了し、Gは、前記祭典に参加したが、その後UからHの死体の最終処分について「中身は薬品を入れてかき混ぜて風呂場に流しました。」などと聞き、後日、被告人から、Hの死体の処理状況につき尋ねられた際,Uから聞いた右話を被告人に伝えた(<証拠略>)。
(7) Hの死体焼却作業の際、ドラム缶が発した熱で第一サティアン四階の床板が焼け焦げたので、それを隠すために同所には四角いベニヤ板が貼り付けられていたが、平成七年六月ころ、新聞に行方不明の教団信者に関する記事が載った際、被告人は、Gに指示して、電動ノコギリで右床板の焦げ跡部分を切り取って捨てて再び同ベニヤ板を上から貼り付け直させた(<証拠略>)。
(二) そして、被告人自身、公判で、Pに呼ばれて道場に駆けつけた後、Hを道場内の衝立(パーティション)で仕切られた場所に運び込ませ、救命活動を試みたが効果がなく、Hは死亡したと考えて、Pらに指示して死体を前記被告人の部屋に運ばせたこと、信者の死亡は重要な出来事なのでAへの連絡が必要と考えたが、警察等による盗聴を恐れて富士宮市内からAへ連絡したこと、前記のとおり、AがPに対し「忘れろ。」と言ったのを聞いていたことなど、外形的事実は概ね認めて、Pほか関係者の供述にも沿う内容も供述し、また、被告人は、前記コンサート会場から帰ってきたAから「この件は忘れろ。お前は仕事に戻れ。」などと言われた後、Sを呼ぶように言われたのでそのようにし、道場で修行中の信者には、Hは下向したと言うようになどと指示されたので、虚偽の事実だと認識しながら、信者らに対し前記のとおりその旨の発言をした(<証拠略>)などと関係者の供述からは明らかとなっていないAの指示状況、その指示に従った被告人の行動や、教団内で公の形でHの死体を弔ったことは知らないこと(<証拠略>)等を供述している。
(三) 被告人を始めとする関係者の適切な供述が十分得られていないこともあって、共犯者の数、共謀の成立時期・成立過程、被告人が当時Hの死体の損壊方法の詳細をどの程度把握していたかなど解明し尽くされているとはいえない点もあるとはいえ、検察官主張のV事件に関する被告人の言動等について検討するまでもなく、以上の事実によれば、被告人は、Hの異常をいち早く知った教団幹部として、現場に赴いて救命活動をする傍ら、その死が修行中に教団信者のミスによって生じたと知り、Aへ前記連絡をした後も一貫してHの死亡を外部から隠す行動をとったほか、AのPらや被告人自身に対する前記各発言も聞いて、AがHの死体を損壊してその死を外部から隠す意思を有していることを察知でき、また、被告人自身、Hの死体の焼却状況を承知していることを前提とした趣旨と解されるGへの前記発言をしたり、前記Hの遺品処理をしたりしていること、当時は、いわゆるW弁護士一家殺害事件や犯罪事実第一に関連する国土法違反事件等により、教団に対する社会の関心が高まっていた時期であったところから、修行中の信者の死亡が外部に知られないようにHの死体を密かに処分することは、教団の利益に適うことであり、古参幹部の被告人も教団と共通の利害を有していて、Hの死体を損壊する動機があったとみられることなどからすれば、遅くともUが本件焼却装置を作動させてHの死体焼却を開始するまでには成立していたと認められるHの死体損壊の前記共謀に、被告人も共同正犯者として、そのころまでには加担していたものと認められる。右事件後の被告人の前記行動も右認定を裏付けるものといえる。
三 以上の事実認定に用いた主な証拠の証拠能力、信用性等
1 O及びPの各公判供述の信用性
弁護人は、両名の各公判供述について、Hの死亡に関する両名の過失責任を問わないこととの引き換えに得られた捜査段階の供述を繰り返したにすぎないこと、Oについては被告人に対する嫉妬心等が供述の際影響していることなどを指摘して、いずれも信用性がないと主張する。
しかし、両名は、公判で、Hの死体損壊に関連する前記一連の事実経過を順を追って具体的かつ詳細に供述し、Hの死についての自らの過失責任につながりかねない事柄、被告人への感情等も率直に供述していて、殊更記憶と異なる内容を供述しているとは窺われない上、固有の体験部分以外の主要な部分で両名の供述内容がほぼ一致し、他の関係証拠とも符合していること等を考慮すると、弁護人の主張を検討しても、前記両名の各公判供述は、十分信用できる。また、関係証拠によれば、Hの死亡自体について関与者への刑事訴追がなされていないことに不審とすべき点は全く窺われない。
2 Gの捜査段階の供述の証拠能力、信用性
弁護人は、前記死体損壊事件に関するGの記憶は全くないか殆どなかったのに、検察官が、Gの極めて不安定な心理状態に乗じて、不当に誘導し、圧力を加え、切り違え尋問を行うなどして、意のままに得たもので、証拠能力がなく、Gの公判供述と比べて極めて信用性に劣ること等を主張して、右供述の証拠能力、信用性を争い、Gも公判等で右主張に沿う供述もしている。
しかし、Gの捜査段階の供述は、具体的、詳細で、他の証拠からは必ずしも明らかとなっていない事実を多く含み、O、P、R、Qらの供述とも、一連の事実経過について前後関係が自然な流れで噛み合っていて、これらの者との共通の体験部分では供述内容が一致するほか、他の関係証拠によって供述内容が一部裏付けられており(<証拠略>)、弁護人主張のような捜査上の問題は窺われないのであって、Gの捜査段階の供述の証拠能力を肯定でき、その信用性は高いというべきである。
なお、Gの捜査段階の供述は、犯罪事実第三、四の認定にも関わっているので、弁護人の主張内容に鑑み、<証拠略>の証拠能力について、付言する。
Gの公判供述は、捜査段階の供述に比べて、自己の罪状については顕著に相反するところはないが、主として被告人の前記死体損壊事件への関与についてあいまいな内容となっており、その後弁護人申請の証人として供述した期日外尋問の際は、被告人の右関与を否定したばかりか、自己の罪状に関する記憶さえも否定するかのような供述に及んでいる。このように、Gの公判供述或いは期日外尋問時の供述は、被告人の本件への関与の有無、程度を中心に捜査段階の供述と相反している。
そして、Gは、教団労働省大臣という幹部ではあっても被告人よりは地位が低かったが、被告人とは草創期からの古参信者として教団内で相互に身近に接してきた数少ない間柄であったこと、公判供述時には自己の公判が終わっており、期日外尋問時には服役を終えた後であって、いずれもGが自己の罪状への影響を考慮しなくてもよい時期であったこと、他方、<証拠略>によれば、Gは、自己の公判ではその罪状を認め、検察官調書についても、取調べ時の心境を述べるだけで、その内容等を特に争っていないことに照らすと、Gは、その動機は明らかでないものの、被告人の面前では真実を供述しがたい状況にあったと認められる。
加えて、Gの捜査段階の供述全体(<証拠略>)の経過等をみると、Gは、後記Iを被隠避者とする犯人隠避事件での逮捕当初、容疑を否認していたが、捜査官に体調の不良を訴えて適切な配慮を受け、記憶に従って正直に供述することで心の重荷が取れたなどと供述を変遷させた合理的な理由を供述し、弁護人との接見を断った上で捜査の比較的早期の段階から、否認を転じて右犯人隠避事件の罪状を認めるに至っていること、Gは、右犯人隠避事件の罪状を認めた以降は、前記死体損壊事件を含めて概ね一貫した事実関係を供述し、前記のとおり起訴後もほぼ右供述を維持していたこと、右死体損壊事件に関するGの供述は、別件の右犯人隠避事件におけるGや被告人の犯意の認定につながる事情として当初得られたものであって、供述内容も、例えば、Hの死体の焼却現場で被告人を目撃したことなど記憶のはっきりしない部分や、残っている記憶をたどって推測した部分などは、右死体損壊事件の立件上重要と思われることであっても、その旨率直に記載してあり、記憶を喚起した部分についてはその記憶喚起の経過を記載してあるなど全体として合理性に富んでおり、捜査官が当初から右死体損壊事件の立件を念頭に置いて、意図的にGの記憶と異なる事項を供述させたなどとは全く窺われないこと、自らの刑事責任につながる事柄、被告人への感情等も率直に供述していること、G作成の上申書には、加削部分も含まれており、弁護人が主張するように、予め用意された原稿に基づいて作成したとは認められないこと等の諸事情が認められる。そして、Gは、公判等で、捜査段階の供述調書は内容を読み聞かされて署名・指印しており、右調書が被告人に関する事件の立件のために用いられることを十分認識していたこと、取調べで虚偽の供述をしたことはなく、当時覚えていることを供述したことなどを供述している(<証拠略>)。
他方、Gは、期日外尋問時に、検察官による取調べ状況について前記弁護人の主張に沿った詳細な供述を初めてするに至った理由について、公判供述時は受刑中であって、検察官の取調べを非難すること等によって拘置所等で懲罰されるのを恐れていた、取調べ検察官に嫌われたくないという気持ちがあったなどと述べるが、公判供述自体が前記のように捜査段階よりも後退した被告人に有利な内容であったこと、第一四回公判での供述の冒頭で拘置所の処遇に関する意見を率直に述べたことで、右処遇に変化が見られ、特に懲罰等はなかった旨供述していること(<証拠略>)等からすると、Gの述べる理由は合理性を欠き、信用できない。
したがって、前記のとおり、Gの前記供述調書の証拠能力が認められ、この点に関する弁護人の主張は失当である。
四 被告人の弁解が信用できないこと
被告人は、公判で、前記のとおり被告人の部屋にHの死体を移動させたのはもっぱら死体を安置するためであり、Oらに平静を装うように指示したことはなく、道場二階の信者らに対して修行に専念するように言っただけであるから、H死亡の事実を殊更隠そうとしたことはないこと(<証拠略>)、AらとHの死体の処理について共謀したことはない上、Aは、当時妊娠初期で精神的にも不安定な時期にある被告人の体調を気遣って、Hの死体の処理について被告人に何も告げていないし、被告人も、Aに対しその後Hの死体の処理がどうなったかは聞かず、Hの死体がどうなったか考えるようなこともなく、当時思考停止状態にあったこと(<証拠略>)、当時祭典の実施に関する仕事で忙しくて犯行場所である第一サティアン四階に行く余裕などなく、異臭等にも気付かず、Hの死体の焼却状況を全く知らなかったこと(<証拠略>)、前記のように、Gに電話で「あとどのくらいかかるのか。」などと聞いたことや、Hの荷物の処分等をOらに指示したことはないこと(<証拠略>)などを弁解する。
しかし、これらは、他の関係証拠と齟齬する内容であり、他方で、被告人は、前記のとおり犯罪事実第二に関する前記認定と齟齬しない内容も供述している。
そうすると、被告人の公判での弁解内容は、それ自体信用性に乏しく、到底犯罪事実第二の認定を左右するものではない。
第三 犯罪事実第三及び第四(各犯人隠避被告事件)について
一 弁護人は、被告人が、犯罪事実第三及び第四記載の各金銭等をI、K及びLに交付したことなどは認めるものの、同人らは地下鉄サリン事件等の犯人として逃亡したのではなく、被告人も同人らが右犯人であるとは認識していなかったなどとして、構成要件該当性、可罰的違法性、被告人の故意を否定し、被告人は、右各事実について無罪である旨主張する。
しかし、教団経理の責任者で教団大蔵省大臣という教団幹部の地位にあった被告人のような立場の者にとっては、地下鉄サリン事件の発生直後で、山梨県西八代郡上九一色村(以下単に「上九一色村」という。)所在の教団施設に対し警察の強制捜査が入る直前或いは入った直後の時期に、教団から多額の金銭等の交付を受けて、急遽右教団施設を離れようとする者は犯罪を犯して逃亡しようとする者と容易に察知でき、これらの者に対し、三〇〇〇万円或いは五〇〇万円という高額な金銭等を交付するのは犯人隠避行為に当たると考えるのが自然であって、被告人がこれらの金銭を交付する際にその使途を全く認識しなかったというのは不合理であり、被告人が、少なくとも「罰金以上ノ刑ニ該ル罪ヲ犯シタル者」を逃走させるために右金銭を交付したと推認できるが、弁護人の前記主張に照らし、補足して説明する。
二 被隠避者の犯人性
1 教団第一厚生省大臣であったIは、教団施設内でのチオペンタールナトリウム、LSD、覚せい剤、メスカリン硫酸塩等の違法な薬物生成に関与するとともに、サリンを生成して松本サリン事件(平成六年六月二七日長野県松本市内の駐車場でサリンを発散させて多数の住民を殺害するなどした殺人・同未遂事件のこと。)及び地下鉄サリン事件にも関与していた(<証拠略>)。
教団科学技術省次官のK及び同Lは、地下鉄サリン事件に関与したほか、教団の自動小銃等の武器製造事犯にも関与していた(<証拠略>)。
2 したがって、I、K及びLは、当時の刑法一〇三条所定の「罰金以上ノ刑ニ該ル罪ヲ犯シタル者」に当たると認められる。被隠避者の犯罪が官憲に発覚してその捜査が開始されている必要はないから、これら三名が容疑者となっていない事件の関係での強制捜査の際の金銭等の交付は刑事司法の作用に実害がなかったとする弁護人の主張は失当である。
三 被隠避者が逃走したこと
1 弁護人は、右三名は前記各事件の犯人として逃走したわけではないと主張するので、IとK・Lに分けて検討する。
2 弁護人は、Iの行動が逃走とはみられない事情として、Iが当初は強制捜査の立会人を務める予定であったこと、教団施設を離れて、岐阜県、宮崎県、鹿児島県等を転々とした後、逃亡を続けずに教団施設に舞い戻ってきたこと、Iが、公判で、地下鉄サリン事件の犯人として逃亡するつもりであったかなど当時の緊迫した状況について明確に言及しないことなどを指摘する。
(一) I及びGの捜査段階の供述については証拠能力が争われているので、ひとまずこれらを除外して、証拠能力に問題のない同人らの公判供述等関係証拠を総合すると、次の事実が認められる。
(1) Iは、平成七年三月二一日昼ころにAから明日強制捜査が入る旨告げられ、フロッピー等押収されたくないものを廃棄処分するなどし(<証拠略>)、Uら上九一色村所在の第七サティアン(なお、第七サティアンは、いわゆるサリンプラントとしてサリンが生成される施設であるが、Iは公判で右に関する認識をあいまいにしている。)のメンバーが既に教団施設を離れたことを知った(<証拠略>)。
そこで、Iは、同日六時以降に(<証拠略>)Aのいる第六サティアンに行き、Aから「しばらく身を隠せ。X(メスカリン生成等に関与した厚生省のメンバー)を連れて行け。ケイマ(被告人のホーリーネームの一部)にお金を貰っていけ。数千万持って行っていいから。」などと指示を受け(<証拠略>)、右指示内容やUらが教団施設を離れた状況等から、自分も教団施設から離れろという趣旨の指示と理解し、X以外の厚生省のメンバーもできるだけ連れて行こうと考えた(<証拠略>)。
Iは、道場一階事務室に行って、電話で被告人に三〇〇〇万円提供してくれるよう依頼したところ、被告人から第一サティアン一階玄関で待つように言われ(<証拠略>)、同日午後八時ころから九時ころの間に、第一サティアン一階玄関付近で、Gから現金三〇〇〇万円を受け取り、同人が持参したノートに自分と一緒に行く他の九名のメンバーの名前を記載し、Gに岐阜方面等に行く旨告げて、急いでその場を立ち去り、教団施設を離れた(<証拠略>)。
(2) Iは、教団施設を離れた後、他の九名のメンバーとともに、岐阜県、宮崎県、鹿児島県等を転々とした(<証拠略>)が、その間の全員の宿泊費や交通費等を右三〇〇〇万円の中から支出した。その後、同月二九日ころ(<証拠略>)、教団幹部のMらの指示に従って東京都内の教団施設等に戻った(<証拠略>)が、教団施設からしばらく離れろとのAの指示に反することになることに心理的な抵抗があり(<証拠略>)、再び教団施設を離れ、前記メンバー中の鹿児島で分れた者と合流しようとして愛知県豊橋市に行き、同年四月一日ころに東京にある教団施設に戻ってからは、逮捕されるまで上九一色村等の教団施設にいた(<証拠略>)。
(二) 以上によれば、Iが地下鉄サリン事件等の犯人として教団施設から逃走したことは明らかであり、これに反する弁護人の主張は採用できないし、Iの公判供述中の右認定に反する部分は信用できない。
そして、I及びGの捜査段階の供述は、後記のとおり、その証拠能力が認められ、これまで述べた認定事実を裏付けている。
3 弁護人は、K及びLは、一回目に教団施設を離れる際被告人から資金提供を受けることなく教団施設を離れ、教団金沢支部に向かう途中で警察官から職務質問を受けて氏名や行き先を告げ、しかも、まだ多数の警察官がいる上九一色村の教団施設に戻ってきており、二回目に教団施設を離れた後も、人目に付く場所で教団関係者に会い、結局は逃亡を続けずに教団施設に舞い戻るなどしているから、逃走とみることはできないと主張し、積極的に逃走しようという意図や当時の緊迫した状況について言及しないなど右主張に沿うLの公判供述を引用したりする。
(一) しかし、K、J、Yの各公判供述及びK、Lの各捜査段階での供述(<証拠略>)等関係証拠を総合すると、次の事実が認められる。
(1) K及びLは、平成七年三月二一日ころ、上九一色村の教団施設への強制捜査に備えて、第七サティアンにあるサリンの中間生成物や廃液等を処分していた(<証拠略>)ところ、地下鉄サリン事件に関わった他の教団信者がAの指示に従って逃走するのを知り、同日夕方、第六サティアンに行き、Aから、「逃げろ。金はマハー・ケイマ(被告人のホーリーネーム)正大師から貰え。」などと指示を受けたが、被告人から逃走資金の供与を受けないまま上九一色村の教団施設を出て、教団金沢支部に行った(<証拠略>)。
(2) しかし、Kらは、同支部周辺に警察車両が停車している状況等を見て、多数の教団信者の中に紛れ込んだ方が逮捕されにくいし、強制捜査も終了しているだろうと考えて、同月二三日ころ、上九一色村の教団施設に戻った(<証拠略>)が、教団幹部の大部分が既に教団施設から逃走してしまっているのを知って、再び逃走することにし、Aの前記指示に従って、被告人から逃走資金の供与を受けようとして道場一階事務所に赴き、Kが被告人に電話してちょっとお願いがある旨言うと、被告人から、第一サティアン玄関に来るように言われた(<証拠略>)。
Kらは、第一サティアン一階玄関に来た教団所属で被告人の実妹のJに対し、「みんな逃げているので、私たちも逃げたいのですが、逃げるためのお金を頂きたいんですけど、私とヴァジラヴァッリヤ(Lのホーリーネーム)師と運転手の三人で逃げます。ビジネスホテルなどに泊まります。金額についてはお任せします。尊師の許可は得ています。」「山梨ナンバー以外の車を用意していただけませんか。」「一週間ぐらい逃げます。」などと被告人への要請をそれぞれ伝えた(<証拠略>)。
Kらは、待機していた同所で、教団所属のYから、現金五〇〇万円在中の紙袋を手渡され(<証拠略>)、被告人が後記のように指示した排気量二〇〇〇シーシー以上の自動車がないため一旦二〇〇〇シーシー未満の群馬ナンバーの自動車の鍵を手渡されたが、その後発見された、右車よりも良い浜松ナンバーの自動車の鍵を手渡された(<証拠略>)。そして、Kらは、教団所属のZを運転手として、右浜松ナンバーの自動車に乗って富士山総本部を離れた(<証拠略>)。
(3) その後、Kらは、東京都内、埼玉県内等のサウナ、ホテル等を転々とし、その間の宿泊費等を右五〇〇万円から支出し、宿泊先のホテルでは偽名を用い、他の教団信者らと共同生活した家を会社の寮と偽っており、教団幹部と接触しつつ、Uら教団幹部が上九一色村の教団施設に出入りする様子を見て、右教団施設に戻ることを決心し、同年四月一七日ころ右教団施設に戻った(<証拠略>)。
(二) 以上によれば、K及びLが地下鉄サリン事件等の犯人として教団施設から逃走したことは明らかである。
他方、Lは、公判で、Aから「逃げろ。お金は富士のマハー・ケイマからもらえ。」と指示されたこと、「尊師の許可を得ている。」と告げてJ、Yを通じて被告人から現金五〇〇万円と自動車の提供を受けたことなど外形的事実関係についてはKの公判供述と概ね一致した内容を供述する(<証拠略>)一方で、自己の公判でその罪状を一部争っているためか、当時の自分の心境は覚えていない、答えたくないなどあいまいで不自然な供述を繰り返しているから、積極的に逃走しようという意図はなかったなど右認定に反するLの供述部分は信用できない。
その余の弁護人の主張を考慮しても、右結論は左右されない。
四 被告人の関与と故意について
1 被告人の関与状況
既に述べたところからも、I、K及びLの逃走に被告人が関与していた状況が認められるが、さらに詳細に検討する。
(一) I関係
被告人は、「お金を下さい。」などと言うIに使途も聞かずに単に「いくらですか。」と尋ね、Iも使途も言わずに「三〇〇〇万円下さい。」と答えただけなのに、その支払いを了承し、第一サティアンの玄関で待つように言った(<証拠略>)。
被告人は、Gに対し、Iが第一サティアンの玄関に来ているので、自分の代わりに行って三〇〇〇万円を渡してきてほしい旨頼み、現金三〇〇〇万円の入った袋を渡し、Iが一人で使う金額ではないだろうから、他に行く人の名前も聞いてくるように言って、ノート、ボールペンも渡した(<証拠略>)。
その後、被告人は、Gから、前記Iとのやりとりの状況について報告を受けた(<証拠略>)。
(二) K及びL関係
被告人は、電話で「サンジャヤ(Kのホーリーネーム)ですが、ちょっとお願いがあるんですが。」と言うKに対し、第一サティアン玄関に来るように言い、周辺にマスコミがいないかも確認した(<証拠略>)。
被告人は、Jを第一サティアン一階玄関に行かせ、Jから、前記Kらの要請を伝えられ(<証拠略>)、直ちにYを呼び、Kらに五〇〇万円を渡すとともに、オウム名義でない排気量が二〇〇〇シーシー以上の車を教団車両省の方から借りてきて上げるように指示して、同女に現金五〇〇万円在中の紙袋と「名変(名義変更の趣旨)前、二〇〇〇シーシー以上」と自ら記載したメモを手渡した(<証拠略>)。
その後、被告人は、第一サティアン四階で、Yから、排気量二〇〇〇シーシー未満の群馬ナンバーの自動車を借り出した旨の報告を受けたが、その際、「どこで盗聴されているか分からないから、もうちょっと小さい声で話すように。」などと注意し、しばらくしてYから右群馬ナンバーの自動車よりも良い自動車があるそうだから借り出しに行く旨の報告を受けた(<証拠略>)。
(三) 被告人の右関与状況からすれば、被告人の各行為は、客観的にはいずれも犯人隠避行為に該当する。
2(一) 被告人は、I、Kらがそれぞれ高額な現金等の交付を教団から受けて複数人で教団を離れることを知っており、特にK及びLについては、前記のように逃走資金を貰いたい旨をJから報告されていたと認められ、使途の確認も、後記のような正規の出金手続きもしないで、右高額な現金を交付しているから、右金銭等は逃走資金或いは逃走車両であって、具体的な罪名は別にして相当な重大事犯に関与した者すなわち「罰金以上ノ刑ニ該ル罪ヲ犯シタル者」を逃走させるとの認識を有していたことが強く推認される。
そして、被告人は、公判で、平成二年一〇月に前記国土法違反等事件の容疑で警察が教団に強制捜査を実施した際、Aが逮捕の予想された者に逃走するように指示した経緯を体験した旨、換言すれば、Aが犯人隠避を指示するのを体験した旨を供述している(<証拠略>)上、Gの捜査段階の供述(<証拠略>)によれば、被告人は、平成七年三月一八日ころ教団内で警察の強制捜査に対する警戒感が高まる中、Gの「警察が捜索に来るかもしれないそうです。」との発言に対し、「いよいよ来るんですね。」と答え、翌一九日教団大阪支部への警察の捜索で教団内が騒然とすると、G、Yらに対し、「押収されそうなものは皆で協力して処分しましょう。」と指示し、被告人自身も経理関係の書類等をシュレッダーで処分するなどしたこと、被告人は、Iへの前記現金の交付直前にも、Gを介して、教団所属のA’に現金五〇〇万円を交付しているが、Gに右現金を渡してくるように依頼した際、「事務から電話してきて、尊師から逃げろと言われたからお金を下さいって言ってきたんですよ。そんなこと電話で言うなんて。」と、Aが信者の逃走を指示したことを聞き知ったことを認める旨の発言をしたことなどが認められる。
また、被告人が前記強制捜査の予想された時期に押収されたくない物を焼却処分したことは、Yの公判供述によっても窺われる(<証拠略>)。
(二) したがって、以上の事実によれば、被告人には各犯人隠避事件の故意があったと認められるが、被隠避者の犯人性に関する被告人の具体的認識についてさらに検討する。
(1) 被告人の教団内での地位等
被告人は、昭和六一年ころに出家した最古参の教団幹部で、教祖に次ぐ正大師の一人であって、教団前身の団体のころから経理事務を任され、平成六年六月に教団がいわゆる省庁制を導入してからは大蔵省大臣として教団経理の最高責任者に就任するなどAの信頼が厚く、Aの子供を二度合計三人出産するなど私生活面でもAと親密な関係にあったから、Iら被隠避者が犯した犯罪のような教団の機密事項に通じていても、少しも不自然ではない地位・立場にあったといえる。
(2) 被告人担当の教団経理の処理状況
被告人が担当していた教団経理の処理の概略は、教団信者が物品等を購入するに当たっては、所属部署、申請理由、金額等を具体的に記載した仮払金申請書等の書類(<証拠略>)を作成・提出し、被告人等大蔵省所属の教団信者らが申請書類を精査して被告人が決裁すると出金され、後日領収書等を添付して精算されるものであった(<証拠略>)。そのため、被告人は、経理処理を通じて、教団が購入する薬品、機材等の内容・用途を把握し得る立場にあったといえる。
そして、例えば、第七サティアンでのサリンプラント建設に必要な機材の購入に当たっては、申請書類の申請理由として、「ウパバーナ・プロジェクト」と記載するだけでよいなど、教団の機密事項に関わる申請については、簡易な理由の記載で高額の出金が許可されて速やかに処理されるなど経理処理上の優遇措置が採られていたが、被告人は、経理処理の最高責任者として、右措置に関わっていた(<証拠略>)。また、教団所属のG’が化学合成実験に関するビデオテープのダビング費用を申請するために右ビデオテープのタイトルをそのまま申請書類に記載していた際は、被告人は、作業内容を率直に記載してきたとしてG’を叱責している(<証拠略>)から、被告人が教団の経理処理を通じて前記教団の機密事項に通じていたと推認できる。
(3) 教団内でのサリン生成等の事実に関する被告人の認識
Aは、現代人は通常の教えでは救うことができない状態にあり、武力的な方法で権力を奪取して、その権力により教団の教えを広めるという内容であるヴァジラヤーナの教えを説き、後記のボツリヌス菌の培養・散布計画の実施による無差別大量殺人をヴァジラヤーナと称して教団の機密事項としたりした。そのため、教団の一部では、ヴァジラヤーナとは殺人などの違法で機密事項とされた活動の意味を含む言葉としても用いられ、被告人もヴァジラヤーナを右の意味で了解して用いていたことが窺われる。そして、ボツリヌス菌の培養・散布計画実施の失敗後の小銃密造やサリン生成等も、右の意味でのヴァジラヤーナに含まれるものであった(<証拠略>)。
また、被告人は、<1>教団所属のH’が他の宗教団体関係者に対する襲撃に失敗してサリンに被爆して重傷を負った旨の話を、平成五年一一月ころGから聞いたとき(<証拠略>)、<2>サリン等の生成に従事していたYが、平成六年七月初めころ、Aからヴァジラティッサ(Rのホーリーネーム)の子供が欲しいかと尋ねられ、有害な薬品を扱って危険物を作っていた影響で奇形児が生まれると困るので遠慮する旨答えるのを、Aの側に立って聞いたとき(<証拠略>)、<3>RとYが、平成七年一月上旬ころ、サリンの一歩手前の中間生成物一〇〇キログラムがなくなったことを話しているのを聞いたとき(<証拠略>)、<4>同じころ、Gが、上九一色村で異臭騒ぎがあって、サリンの残留物が検出されたとの同月一日付け新聞記事を持参し、サリンの件で捜索があるかもしれない旨告げたとき(<証拠略>)などに、それぞれ特段驚いた様子も、その発言の趣旨を問い質したりすることもなく、何の反応も示さなかった。
さらに、右新聞記事掲載後、教団と松本サリン事件を結びつける記事が週刊誌数誌に掲載されたりしたことに関して、平成七年一月ころ、Yが情報が内部から漏れているおそれを述べたのに対し、「シーハ(元教団所属のB’のホーリーネーム)師(松本サリン事件等に関与した後、教団から抜け出していた。)は絶対大丈夫だと思うけど。」と答えたこと(<証拠略>)、Yが、同年四月上旬ころ、第七サティアンのサリンプラントにあるシヴァ神像の取り壊しの件に言及したのに対し、「じゃあもうだめですね。」などと答えた後、第七サティアンでのサリン生成の有無を確認したこともあったこと(<証拠略>)等に照らせば、被告人は機密事項とされていた教団内でのサリン生成等の事実を知っていたと推認される。
(4) 地下鉄サリン事件等にI、Kらを始めとする教団関係者が関与していたことに関する被告人の認識
被告人は、平成七年三月二二日夜、Gから地下鉄サリン事件に関する報道内容を伝えられた際も、特段驚く様子はなかったし(<証拠略>)、右事件の概要からして多数人が関与した組織的犯罪と窺われ、I、Kらが逃走したのは右事件の発生後数日内であったこと、右事件で用いられたサリンは教団内で生成されていたが、サリン生成や地下鉄サリン事件に関与しておらず、被告人よりも教団内の地位が低い幹部クラスの信者でも、ヴァジラヤーナの実践として、教団のサリン生成のみならず地下鉄サリン事件への関与を疑っていたこと(<証拠略>)などを考慮すると、被告人が地下鉄サリン事件にI、Kらを始めとする教団信者が関与していたと認識していたと窺われる。
しかも、LSD等の違法薬物やサリンの生成自体が教団の機密事項であり、右生成への関与は特殊な知識・技能を要するから、それに関わる教団信者は限定されていて、地下鉄サリン事件に関与した者も教団の機密事項に通じていた者に限定されていたと考えるのが自然であるところ、Iについて具体的にみると、被告人は、Iが、教団第一厚生省(LSD等の違法薬物を生成していた。)の大臣であって、平成六年七月ころから同年九月ころにかけて実施されたいわゆるキリストのイニシエーション(Aが教団信者に対しLSDを入れた飲み物を与えて暝想修行させること(<証拠略>))に深く関与していることを知っていた上、被告人自身、参加者の名前を呼び上げるなどして同イニシエーションの実施に関与し(<証拠略>)、教団所属のC’の申請を受けて、おしめ、利尿剤等の購入を許可するなどして、右イニシエーションを受けた教団信者の尿の成分を検査されて教団内でLSDの使用が外部に漏れるのを防ぐ措置をとっていた(<証拠略>)から、被告人は、Iが、LSD等の違法薬物の生成だけでなく、地下鉄サリン事件にも何らかの関与をしたとの認識を有していたことが推認される。
次に、被告人は、Kが科学技術知識を要する教団科学技術省の次官であることを知っており(<証拠略>)、Aから平成二年四月ころKら約二五名の教団信者とともに毒性の強いボツリヌス菌の培養・散布による無差別大量殺人計画を明らかにされた後、同菌の培養プラントで作業していたKを訪れ、その生産工程に関する説明を受け、必要な機材の購入資金として四〇〇万円をKに渡すなどして、右計画に関わっていた(<証拠略>)。ボツリヌス菌の培養・散布計画も教団の機密事項であって、右計画の実施による無差別大量殺人はヴァジラヤーナの実践として地下鉄サリン事件と類似した性格を有していたから、被告人は、Kが、ボツリヌス菌の培養・散布計画以降も教団の機密事項とされたその他の違法活動に関与し、地下鉄サリン事件にも何らかの関与をしたとの認識を有していたことが推認される。
さらに、被告人は、Lについても、教団内の会議の際に教団科学技術省の次官であることを知り(<証拠略>)、Kとともに運転手を同行して教団施設を離れるのを知っていた(<証拠略>)から、Kと同様に、Lが地下鉄サリン事件を始め教団の機密事項とされた何らかの違法活動に関与していたとの認識を有していたことが推認される。
しかし、検察官が主張するように、K、Lが自動小銃等の武器製造事犯に関与していたことを被告人が認識していたかについては、右武器製造がヴァジラヤーナの実践であった(<証拠略>)から、被告人も、右認識を有していても不自然ではないが、それ以上に被告人が右認識を有していたことを窺わせる証拠に乏しいから、被告人が右認識を有していたとするには合理的な疑いが残り、右の点は推認できない。
(5) したがって、被告人は犯罪事実第三及び第四に記載した程度のI、Kらの罪状に関する認識を有して右犯行に及んだことが認められる。
そして、被告人は、Iの関係で犯人隠避事件では、Gを介して逃走資金を提供するなどし、K、Lの関係での犯人隠避事件では、Jを介して逃走資金提供等の依頼を受け、Yを介して逃走資金を提供するなどしており、G、J及びYも、先に検討した事情等からして、Iらに対する逃走資金等の提供に関与しているとの認識を有していたと認められるから、被告人は、そのころ、Iの隠避についてはGとの共謀を、K、Lの隠避についてはJ、Yとの共謀を、それぞれ成立させていたと認められる。
被告人自身、公判で、夕刊を読むなどして地下鉄サリン事件の発生した当日中に地下鉄内で毒ガスが散布された旨の報道(なお、<証拠略>には、そのころの新聞に「地下鉄サリンの事件の記事が大きく出ている」との記載がある。)を知り、その後上九一色村の教団施設に強制捜査が入ったことも知っており、UからのI、Kらへの出金指示もAの許可を得ているものと理解し、右指示に従って教団科学技術省所属の信者から連絡を受けてGを介して五〇〇万円を交付した後、「三〇〇〇万円を出して下さい。」とのIの要請を受けてGを介して三〇〇〇万円を交付し、さらに、Kからの「お願いがあります。」との連絡にはJに対応させ、Kが金銭と自動車を欲していて、Aの許可も得ており、Lが同行していることを知り、Yに五〇〇万円の交付と車両の手配を依頼したことなど犯人隠避に関連する事実関係を概ね供述していて(<証拠略>)、強制捜査が実施される時期に、教団施設を離れようとする者に対し、三〇〇〇万円或いは五〇〇万円という高額な金銭や自動車を用意したことなどを認める、前記認定と齟齬しない供述もしている。
なお、これまで被告人の認識を推認するために挙げた事情の中には、関係者の供述のみによって認められるものも含まれているが、右供述は後記五で検討するものも含めていずれも信用性が高いものである上、各事情の内容自体も、具体的、詳細であって、関係者相互の供述によって一致して認められるものや裏付けられているものもあり、教団の機密事項に通じていても不自然ではない被告人の立場や経理処理の状況等からして肯定できる内容であるから、右認定に反する弁護人申請の証人の供述部分(<証拠略>)は、信用できない。
五 証拠能力、信用性等について
右認定の根拠となる関係者の供述については、弁護人がその証拠能力、信用性を争うので、その主たるものについて、ここで検討する。
1 弁護人は、Iの捜査段階の供述について、偽計、脅迫等を用いた取調べの違法性を主張して、その証拠能力を争っている。
そこで検討すると、Iの捜査段階の供述(<証拠略>)は、公判供述と対比すると、前記のとおり外形的事実関係についてはほぼ一貫した内容であり、主としてIが地下鉄サリン事件の犯人として逃亡するつもりであったかなど当時の緊迫した状況や、前記現金に関する被告人の認識など被告人の罪状に関わる点について、公判供述と異なっている。しかし、右相反部分は、Iが地下鉄サリン事件等の被告人として公判中であって、何度か自己の罪状への影響を理由に供述を拒絶していること、Iと同様に教団幹部であった被告人が本件を否認して、Iの公判供述時には、被告人が教団を脱会するかは明らかになっていなかったこと等を考慮すれば、Iが被告人のいる公判では真実を供述し難い事項であったとみられるから、前記の点で公判供述と異なっていることは、何らIの捜査段階の供述の信用性に疑いを生じさせるものではない。しかも、Iの捜査段階の供述は、I自身が述べなければ明らかにならないような事実を具体的、詳細に供述し、自己の罪状に関わる事項まで率直に供述しており、記憶のあいまいな部分はその旨供述している上、公判供述(<証拠略>)によれば、署名したくない調書には署名せず、署名した調書は内容を確認の上署名したというのであるから、Iの捜査段階の供述は、本人の記憶に基づいた内容であったと窺われる。
このように、Iの捜査段階の供述には特信性も認められるから、その証拠能力は肯定され、しかも、自らの逃走の意図を率直に認めるなどしていて、その信用性も高い。
2 弁護人は、犯人隠避事件に関するGの捜査段階の供述についても、前記同様の趣旨で、その証拠能力はなく、信用性に劣る旨主張する。
Gは、公判では、教団内でサリン等の毒物の製造がなされていたか、教団が地下鉄サリン事件に関与していたかなどといったサリン等の毒物と教団との結びつきに関するGの認識自体や被告人の認識について、捜査段階の供述(<証拠略>)より後退した供述をするが、右認識はいずれも推論に基づいて調書上も明確でないなど、捜査段階と公判とで大きく相反しているとはいえない部分もある。しかし、被告人の本件への関与や認識を窺わせる事情に関する部分については相反していることが明らかである上、期日外尋問時には更に相反部分が広がり、自らの罪状に関しても否定するかのような供述となっている。
このような相反部分については、前記のとおり、Gは、被告人の面前では、真実を供述しがたい状況にあったと認められるほか、Gの捜査段階の供述全体の経過や供述内容等を考慮すると、Gの捜査段階の供述の特信性が認められ、証拠能力ばかりか、前記三〇〇〇万円の趣旨が逃走資金である旨率直に認めるなどその信用性も肯定される。
3 弁護人が種々論難して信用性がないと主張するK、Yの各公判供述は、いずれも具体的、詳細であって、自己の罪状にも率直に言及した内容であり、共通の体験部分では相互にほぼ一致するばかりか、犯行状況に関してはJの供述ともほぼ一致していて、被告人に対する反感等から殊更記憶と異なる供述をしたとは全く窺われないから、信用性が高いと認められる。
六 被告人の弁解等
1(一) 被告人は、Aの男尊女卑の思想などのため、犯罪事実第一の関係での勾留後に保釈されてからは教団の重要なワークから次第に外されていた上、Aの子供を二度出産し、以後子育てに専念することになって第一サティアンに隔離される生活となってからは、教団の機密事項に関する情報に接する機会がなくなったこと、大蔵省大臣といっても名目的なものであって、経理関係の申請書類等にはいわゆるめくら判を押していたから、教団の活動の実態を把握できるものではなかったこと、他人のことには干渉せず関心を持たないという教団の教義に忠実に従っていたこと、国家権力等による教団に対する宗教弾圧があり、その一環として教団に対する毒ガス攻撃の存在を信じていたことなどからして、教団の違法活動を知り得なかったとし、各犯人隠避事件の故意に欠けていた旨弁解し、G(<証拠略>)、R(<証拠略>)、D’(<証拠略>)、E’(<証拠略>)、B(<証拠略>)、M(<証拠略>)、L(<証拠略>)、F’(<証拠略>)の各供述など主として弁護人申請証人の供述中には右弁解に沿う部分がある。
(二) 被告人が出産前に比べて育児に時間を取られることが多くなったであろうことは肯定できるが、被告人の生活を手伝う複数のスタッフも配置されており、また、平成七年三月の教団施設に対する強制捜査は、教団にとってはその存亡にも関わる重大な局面であって、そのような時期にAが複数の逃走者への高額な逃走資金の交付を被告人に行わせていること自体、被告人がその時点でも教団内で重要な役割を果たしていたことを有力に窺わせているのであって、育児や教団の在り方等に関する被告人の弁解部分は被告人に前記故意がなかったことを直ちに裏付けるものではない。
そして、被告人は、教団内で前記の地位・立場にあり、犯人隠避に関する前記認定と齟齬しない供述もしていながら、Iらに交付した高額な現金の使途について合理的な説明をせず、使途は全く認識していなかった旨述べるだけである(<証拠略>)から、被告人の前記弁解とは異なる内容の関係証拠に照らしても、教団の違法活動を知り得ず、犯人隠避の各故意に欠けていたとの右弁解は到底信用できない。
(三) また、被告人の弁解に沿うGらの前記各供述は、信用性に乏しいものとして一部既に検討してあるが、過去の教団内での被告人との身分関係や、それぞれの供述者自身の罪状及び公判進行状況等による供述態度への影響が窺われたり、被告人の地位・立場とは違って教団の活動の実態を知り得る余地の少ない者の供述であったりして、各供述内容にもあいまい、不合理な点がみられる上、被告人が経理関係の申請書類の内容を点検していたことを窺わせる供述(<証拠略>)や、教団の経理処理上科学技術省のものについては取扱いが異なっていたとの供述(<証拠略>)、被告人が教団の違法な活動を知り得た可能性を否定しない供述(<証拠略>)等も存するから、被告人の弁解を的確に裏付けるものとはいえない。
また、F’は、Aの子供を出産するなど被告人同様Aと親密な関係にあったが、教団内での担当は音楽関係であってその居室にはピアノも置かれており、他方、被告人の居室には秘密の連絡にも利用可能な電話ボックスも設置されていて(<証拠略>)、居室内の大型金庫、小型金庫内に現金約七億円が保管されていたことが前記教団への強制捜査の際に確認されている(<証拠略>)から、教団内の機密事項について、被告人がF’より詳細で正確な知識を有していても何ら不自然ではない。
(四) したがって、被告人の前記弁解は、前記認定を左右するものではない。
2 弁護人は、被告人がいわゆるマインドコントロールによる思考停止状態にあったことも前記故意を欠く要素の一つとして主張する。
教団ではAの影響力が強く、被告人も長年その影響を受けてきたことは肯定できるが、被告人の弁解を前提としても、被告人は、平成七年四月ころにYからサリンプラントの話をされたときに嘘とは思えなかったことなど同年三月の強制捜査後の比較的早い段階で教団の違法活動について疑いを抱き始めた(<証拠略>)ほか、右強制捜査以前から興味を持った社会的事件についての新聞等を購入するなど弁護人が主張するほど外部からの事情を遮断されていなかったのである(<証拠略>)。しかも、被告人は、教団の草創期からの信者であって、教団の変貌の過程や実状を十分に知り得る中枢的地位にあったから、被告人がいわゆるマインドコントロールによる思考停止状態になかったことは明らかであって、弁護人の前記主張は失当である。
七 したがって、犯罪事実第三及び第四の各事実を認定できる。
弁護人は、被告人の右各行為は法益侵害性が存在せず、少なくとも可罰的違法性がないと主張するが、これまで述べた右各犯罪事実が可罰的違法性に欠けるところがないことは明らかであって、この点の弁護人の主張も採用できない。
(適用法令)<省略>
(量刑事情)
一 本件は、証憑湮滅(第一の事実)、死体損壊(第二の事実)及び二件の犯人隠避(第三及び第四の事実)の事案である。
二 まず、証憑湮滅の犯行についてみると、証憑湮滅の対象となった犯罪は、教団施設用地取得のために教団所属のBらが敢行した国土法違反等であるが、国道法違反事件自体、取得対象用地面積の広大さや取得価格の高額さ等からして同法の目的を損なうおそれが大きいなど悪質な事案であったのに、Aら教団関係者は、熊本県の再三の指導説得を無視して隠ぺい工作を行い、熊本県から告発を受けた同県警が強制捜査に着手してBを逮捕した後も、Bらの刑事責任を免れさせるため、右土地取得が負担付贈与に基づくものであるなどといった前記虚偽の事実を主張し、これに沿った証拠も偽造するなど教団全体で徹底して争う態度を見せていたから、その一環として敢行された被告人の証憑湮滅行為も、組織的、計画的な犯行といえる。しかも、熊本地裁の公判で教団側がEに三五〇〇万円を融資した日付を約一か月遡らせて前記主張内容を多少変更させるまでは、本件仮払金申請書が教団側の主張を支える有力な証拠として利用されたから、現に刑事司法作用を害しており、また、害するおそれも大きかったといえる。
そして、被告人は、教団の経理担当者として事情を了解した上で、教団の危機的状況を適法な方法で打開するのではなく、本件証憑である仮払金申請書に押印するなど証憑の偽造に関与し、教団主張の前記虚偽の事実に沿う形で右仮払金申請書の作成状況を説明して、これを捜査担当検事に提出したから、教団挙げての偽造工作に積極的に関与して重要な役割を果たしたものといえ、犯行態様は大胆、悪質であって、動機に酌むべき点はない。
三 次に、死体損壊の犯行についてみると、命じられて「逆さ吊り」という危険な形態の修行をしていた教団信者がその修行中に死亡したことが外部に知れると、前記W弁護士一家殺害事件等との関係で教団に対する社会の関心が高まっていた折りであっただけに、非常に望ましくないとの判断の下に、右死亡事実を隠ぺいしようとして、教祖のAやU等教団幹部らが共謀して、死体の尊厳を無視して、秘密裏に敢行したものであって、動機に酌むべき点は全くない。
犯行態様は、複数人で、予め用意した精巧な本件焼却装置を用いて右信者の死体を焼尽くし、残った遺骨も薬品で溶かして捨てるなど死体を跡形もなく徹底的に処分しており、組織的、計画的、巧妙、大胆、徹底的な手口によるものであって、非常に悪質である。
突然死亡した前記信者の意向を無視してなされたものであって、右信者の無念さはもとより、死亡自体も長期間隠されていた上、前記のような形で遺体も処分されてしまった遺族の憤り、悲しみが大きく、被害感情が厳しいのも当然である。
被告人は、死体損壊工作自体に加わっていないとはいえ、右信者の異常をいち早く知った教団幹部として、Aへ連絡する傍ら死亡事実の秘匿工作等を行っていて、重要な役割を果たしたといえる。
四 犯人隠避の各犯行についてみると、被隠避者は、LSD、覚せい剤等の薬物生成のほか、組織的に敢行された未曾有の凶悪事犯である地下鉄サリン事件等に関与したIら教団関係者であって、右の者らの罪状自体極めて悪質であるところ、被告人は、教団経理の最高責任者として、平成七年三月二一日の上九一色村等の教団施設に対する強制捜査の前後という教団の危機的時期に、Iらの要請に積極的に応じて、Iに対して現金三〇〇〇万円を、K及びLに対して現金五〇〇万円と捜査官憲から発覚しにくい自動車をそれぞれ提供し、右提供を受けたIらは、右強制捜査の際は地下鉄サリン事件等への関与の発覚を免れ、ホテル等の宿泊施設を転々とするなどして、同年四月初め或いは同月中旬ころに上九一色村等の教団施設に戻るまで相当期間の逃走が可能となったのであって、犯行態様は悪質であり、被告人が果たした役割も大きく、動機に酌むべき点はない。
五 これら犯行全体を通してみると、被告人は、最古参の教団幹部の一人で、正大師というAに次ぐ地位を占め、教団前身の団体のころから主として経理事務を任されるなどAの信頼が厚く、教団内で大きな役割を果たしながら、Aの指示に異を唱えることなく、教団内の数々の違法行為を放置し、教団の利益のみを重視した身勝手な動機から本件各犯行に及んでいて、法規範軽視の態度が窺われる。
しかも、第一の事実の関係で保釈中で厳に行動を慎むべき時期に、第二ないし第四の各犯行に及んだばかりか、捜査段階ではいずれの犯行についても殆ど事実関係を供述せず、公判でも社会的責任を感じるなどとしながらも(<証拠略>)、各事件の実状等を述べるところは少ないのであって、後記の点を別にすれば十分な反省の情を示しているとはいえない。
したがって、各犯行自体の罪質、手口、態様その他の前記犯情に加えて、被告人が果たした役割、動機、反省状況等も併せ考慮すると、被告人の刑事責任は重い。
なお、第一の犯行は、法定刑が最大でも懲役二年の事案でありながら、平成二年一一月の起訴以来八年余の審理を要したが、被告人らが前記のように徹底的に争っていたこともあって熊本地裁での審理に相当の期間を要していて、しかも、その間に被告人は、第二ないし第四の犯行を犯してこれらの事件の審理も新たに必要とさせたから、このような審理の経過には格別被告人のために斟酌すべき事情は見当たらない。
また、前記のように、第二の死体損壊の犯行では、信者の死亡自体に関与した者に対する刑事訴追は行われていないが、関係証拠からはそのことに不審とすべき点は全く窺われないのであって、このことも、格別被告人のために斟酌すべき事情には当たらない。
六 他方、第一の犯行では、被告人が提出した仮払金申請書は、捜査官自身偽造の物と当初から考えていた上、教団側が熊本地裁で前記のとおり主張内容を変更した後は教団側にとっても有力な証拠とはいえなくなっていたし、被告人は、公判で、Bらの敢行した国土法違反等の犯行自体は認めたこと、第二の犯行では、被告人は、教団信者の死因に関わっていない上、死体損壊に関与することになったのも偶発的側面があって、その実行行為も担当していないこと、第三及び第四の犯行では、被隠避者は容疑者として平成七年三月の前記強制捜査の具体的な対象とはなっていなかったことが指摘できる。
また、前科前歴のない被告人が本件各犯行に及んだことには教祖のAの影響が大きかったことは否定できないところ、被告人は、教団からの完全離脱を表明し、Aの教えも誤りであったとしてオウム真理教犯罪被害支援基金に三〇万円の贖罪寄附をし、教団に残っている信者の教団からの離脱を支援する旨述べるなど被告人なりの反省の情も述べていること、被告人の帰りを待つ幼い三人の子供がいること等の事情も認められる。
七 そこで、これらの事情や関係者の処分状況との権衡等を総合考慮して、主文の実刑が相当であると判断した。
(裁判長裁判官 植村立郎 裁判官 野口佳子 裁判官 上拂大作)